日本赤十字看護大学 看護歴史研究室

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看護歴史研究室について

日本赤十字社の活動で、災害救護活動は主要な活動の一つです。
特に自然災害の時の救護班の派遣が緊急活動として注目されています。
1891年に岐阜県で発生した濃尾地震に始まり、
1896年の明治三陸地震で発生した明治三陸大津波にもすぐに派遣されています。

その後は関東大震災、伊勢湾台風、阪神・淡路大震災、東日本大震災にも大規模な救護活動が行われています。
自然災害以外にも、鉄道や船舶等の交通機関の事故、大火でも負傷者の救護に従事しています。

これらの災害における救護看護師に関する史料の発掘と調査を行っているのが、
日本赤十字看護大学の看護歴史研究室です。

1890年から看護師養成を目的とした養成所として開設され、
赤十字の看護師養成と救護活動に関する資料が5000点以上収められています。
中には明治時代の教科書の様な貴重なものも数多く含まれています。

看護師というと制服に憧れる方もいらっしゃると思います。
看護学校の生徒の制服はどのようなものだったのでしょう。

おなじみの白衣・白帽だけでなく、戦前の学生は濃紺の制服制帽を着用しており、
戦後の短大であった頃には白とブルーの縦縞のワンピースに白エプロン、
1986年に設置された現在の日本赤十字看護大学ではグレーの制服を着用しています。

赤十字の設立の経緯とは

実際の様々な展示物が公開されているのは東京都広尾の学校の構内です。
Webページでも貴重な資料が公開されています。
常設展の他、今までに開催された特別展の資料を見る事が出来ます。

例えば救護活動の歴史について見てみると、まず1888年の磐梯山噴火で初めて救護を行っているのですが、
赤十字の設立の経緯は戦場での負傷兵救護がきっかけだったため、
平時の救護活動が規定に明記されていませんでした。

そこでこの磐梯山噴火、1890年のトルコのエルトゥールル号遭難事件、
そして濃尾地震までは明治天皇の皇后の御内旨として救護が行われていました。

創立から太平洋戦争終結まで4回の戦争がありましたが、
救護の派遣件数は戦争よりも災害に対するものの方が遥かに多かったのです。

トルコのエルトゥールル号遭難事件は、和歌山県沖で発生しました。
500名以上の犠牲者を出した大惨事ですが、
岸に流れ着いた生存者を言葉の通じない地元の漁民たちが懸命に救護して救命したという話が伝わっています。

この時、日本赤十字社の一行も12日間にわたり負傷者救護しました。
トルコが親日国である理由の一つは、このエルトゥールル号遭難事件に対する日本の手厚い対応があるそうです。

この時の救護活動は、救出された生存者が神戸に運ばれたため、神戸の消毒所を仮の病院として行ったそうです。
この救護活動は政府が情報を受けて、宮内省からの要請を受けて派遣されています。

このため、日本赤十字社が実際に活動を行ったのは、事故が発生してから6日後であり、
現在の感覚からすると初期救護というには遅かったようです。

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