ひめゆり平和祈念資料館

女の子
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太平洋戦争について

普段は怪我を負った人、病気にかかった人は医師と看護師が医療行為を行います。

ところが、非常事態の場合にはこれらの医療関係者では手が足りず、
それ以外の人が様々なところで協力をするという事が起こりえます。
その最たるものが地上戦の現場です。

軍人に限らず民間人も様々な場面で協力する事になります。
この結果、民間人も大変悲惨な結末を迎える事があります。

沖縄は太平洋戦争で激しい地上戦が繰り広げられました。
この時、沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の女子生徒と職員は、
沖縄陸軍病院に看護要員として従軍しました。

これがひめゆり学徒隊です。
名前の由来は二つの学校の校誌名を組み合わせたものです。
最初は那覇の近くで活動していたのですが、
激しい戦闘のために徐々に南へと移動し追いつめられていく事になります。

回復の見込みのない負傷兵や学徒を置き去りにして撤退し、地下壕に潜む事になります。
最終的に学徒隊は解散を命じられますが、もはや地下壕の周囲はアメリカ軍に包囲されており、
行き場の無い状況になっていました。

さらに人々が潜んでいる地下壕にも様々な攻撃が加えられました。
戦闘終結までの死者は136名、
そのうち解散命令後に犠牲になったのは117名という、多大な犠牲を払いました。

資料館について

この女子生徒と職員の活動を後世に伝えているのが、ひめゆり平和祈年資料館です。
場所は沖縄本島の南端、糸満市です。
1989年に開館しました。

解散後に手榴弾の攻撃を受けて、多くの犠牲者が出た伊原第三外科壕が、
底から見上げた形で再現されているというのが圧巻です。

かつてはこの資料館では、実際に動員された方の生き残りの方が語り部として証言していましたが、
高齢化のために今は証言映像の上映に徐々に切り替えられています。

若い人たちが平和について語り合える場所や、多目的ホールが増設されています。
証言員として、今も生存者から直接説明を聞ける機会もあります。
展示されている資料は、日本側だけでなくアメリカ側が撮影したフィルムも含まれています。
中には当時としては珍しいカラーフィルムの映像もあるようです。

資料館は今までに集められた資料を展示したり、生徒や児童に戦争体験講話等の企画を実施しているほか、
資料館だよりをオンラインで公開しています。
ここには展示されていない事柄がまとめられています。

特にひめゆり学徒隊に被害を及ぼしたのは、黄りん弾です。
黄りんは皮膚に付着するとやけどを起こし、低温でも自然発火するもので、
地下壕に潜んでいた時に放り込まれて呼吸困難になった事で、犠牲になったとの事です。

さらに問題は、戦争で使われていた黄りん弾が未だに不発弾として残っており、
長年の風雨にさらされて腐食して、中身が漏れることがあります。

今でも小学校の建築現場で見つかり、児童が避難するという事も起きています。
爆発の恐れがあり、戦争の後遺症は未だに残っていると分かります。

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